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おすすめ探訪スポット!
雄踏エリア
ゆうとう

花と歴史に彩られたガーデンシティ
自然、歴史、文化の宝庫である雄踏エリアは、年間を通して多くの
訪問客で賑わいます。とくに今年は「浜名湖花博2024」が開かれ、
地域への注目度はますますアップしそうです。
そのほかにも、徳川家康の次男である結城秀康ゆかりの中村家住宅や、
江戸時代から伝わる雄踏歌舞伎「万人講」など、地域の魅力は盛り沢山。
文化の花咲く春の雄踏エリアを散策してみましょう。

印象派庭園「花美の庭(花の美術館)」

印象派庭園「花美の庭(花の美術館)」

「花博2024」がスタート

今から20年前の2004年、浜名湖ガーデンパークで開かれた国際的な花のページェント「浜名湖花博」。場内に6000品種、500万株の草花が用意され、4~10月の開催期間中に約544万人が来場しました。この花博の20周年記念事業として、今春開催されるのが「浜名湖花博2024」です。浜名湖ガーデンパークと、はままつフラワーパークの2会場で行われ、開催期間はガーデンパークが4月6日から6月2日、フラワーパークが3月23日から6月16日となっています。このうち、今回は雄踏エリアに位置するガーデンパーク会場の見どころをご紹介しましょう。
「浜名湖花博2024の大きなテーマは『人・自然・テクノロジーの架け橋~レイクハマナ デジタル田園都市(ガーデンシティ)』。浜松は、先進的なものづくり都市であると同時に、花や緑が豊かな田園都市でもあります。今回の花博では、浜松から『生活に潤いを与える花を日常生活に取り入れ、新しいライフスタイルを創造しませんか?』というメッセージを発信していきたいと考えています」。静岡県経済産業部参事で、浜名湖花博20周年記念事業推進室の山本東さんは、このように語ります。

没入体験型の「イマーシブミュージアム」

没入体験型の「イマーシブミュージアム」

花博のガーデンパーク会場で、まず注目されるのは没入体験型のデジタルアートミュージアム「イマーシブミュージアム」です。このミュージアムは、これまで東京、大阪で開催され話題となったもので、東海エリアでの開催は今回が初めて。「鑑賞する絵画から、体験する絵画へ」をキーワードに、音と映像で花咲く印象派絵画の世界を表現します。まさに花と緑とデジタルアートの融合であり、「人・自然・テクノロジーの架け橋」という花博のテーマにぴったりの展示といえるでしょう(別途入館料が必要)。
また、1600種もの花々に囲まれた色彩豊かな印象派庭園「花美の庭(花の美術館)」も大きな見どころの一つ。ガーデナーの美意識と心象風景が映し出され、まるで絵画のように美しく調和した植物の魅力を堪能することができます。5月には多彩なバラのアーチが見頃を迎え、スイレンやフジの花が咲き乱れるなど、訪れる時期によって景色が移り変わるのも魅力です。特別企画として、団体客向けにアーリーエントリー(花の美術館開館前の入場)、トワイライトエントリー(花の美術館閉館後の入場)も実施する予定です。
さらに、世界的な庭園デザイナー・石原和幸氏の監修による記念庭園「汽水園」も注目の展示です。石原氏は、世界で最も権威ある「英国チェルシーフラワーショー」で通算12個のゴールドメダル獲得を誇り、日本の里山をイメージした作庭で知られます。今回の「汽水園」は、富士山の湧き水が海に流れる様子と、浜名湖の眺望という二つの風景を表現するもので、季節や見る角度によって違った表情を楽しめるのが特徴です。
「このほか、展望塔から見渡す『花織り畑』は、春はネモフィラ、初夏はヒマワリの花が咲き誇り、一面が花のカーペットのような景観を実現。また、障がいの有無を問わず誰もが花と緑を楽しめるユニバーサルガーデンや、里山の暮らしをテーマとするポタジェ(フランス語で家庭菜園)ガーデンもあります。さらにスズキ株式会社の協力により、自動運転自動車、パーソナルモビリティの試乗体験も行えるなど、様々な楽しみ方が可能です。ぜひ多くの方々に、ガーデンパーク、フラワーパークの両会場を訪れていただきたいですね」と山本さんは語っています。

展望塔から一面のネモフィラを見渡せる「花織り畑」

展望塔から一面のネモフィラを見渡せる「花織り畑」

結城秀康ゆかりの中村家

さて、ここからは雄踏エリアの歴史についてご紹介することにしましょう。「雄踏」の地名は、古代日本の英雄・ヤマトタケルノミコトが東征の際、当地に上陸して大地を「雄々しく踏んだ」ことが由来とされています(雄踏町宇布見の金山天神社の社伝による)。そんな古くからの伝承が残る雄踏エリアには、数多くの歴史遺産がありますが、その中で最も有名なのは宇布見の中村家住宅です。
中村家初代当主の正範は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟・範頼の末裔とされ、文明15年(1483年)、宇布見に屋敷を構えました。16世紀には今川氏の代官として浜名湖の軍船を支配しましたが、永禄11年(1568年)、徳川家康公が遠江に進出してからは徳川氏の軍船兵糧奉行や代官を務めていました。
そうした関係から、天正2年(1574年)、家康公の側室・お万の方が家康の子を身ごもった際、中村家の当主は秘かにお万の方を自らの屋敷に預かり、同家で出産させました。これは、家康公の正室・築山殿がお万の方を正式な側室として認めず、城から追放したためとされています。ともあれ、お万の方は家康公の次男を無事出産し、生まれた子は於義丸(おぎまる)と名付けられました。しかし、家康公から認知されないまま幼児期まで中村家で養育されたといいます。

重要文化財に指定される中村家住宅

重要文化財に指定される中村家住宅

於義丸は、築山殿の死後、ようやく家康に認知されます。成長した後は羽柴(豊臣)秀吉の元へ養子に出され、家康公と秀吉から1字ずつ取って秀康と名乗るようになりました。その後、秀康は下総の結城氏の養子となり、結城秀康と改名。関ヶ原の戦いでは東軍に属して勲功を挙げ、後に越前国に移封されて福井藩初代藩主、越前松平家の祖となっています。
そんな秀康を養育した雄踏の中村家は、江戸時代に入ってから格式の高い庄屋として将軍家から庇護されます。徳川御三家、老中、大坂城代、京都所司代や、越前松平家の大名が東海道を通行する際には、歴代の中村家当主がお目見えをしていました。また、秀康を祖とする福井藩、津山藩からも特別な待遇を与えられていたといいます。
秀康ゆかりの中村家住宅は現存し、重要文化財に指定されています。主屋は2001年度から2003年度にかけて解体修理され、その際の調査で建築当初の姿と変遷が明らかになり、元の建物に復元されました。また、江戸時代に建てられた長屋門と、秀康誕生時の胞衣(えな)(後産)を埋めた胞衣塚は市指定文化財となっています。塚の上の梅の木は家康公のお手植えとされ、数代を経て今日まで伝わっているものです。
古代から近代まで連綿と続く雄踏の歴史。次のコラムでは、これも地域の貴重な歴史文化遺産である雄踏歌舞伎「万人講」をご紹介しましょう。

江戸時代から伝わる雄踏歌舞伎「万人講」
地域の人々に支えられ未来に継承へ

雄踏の宇布見では江戸時代末期から、村の芝居好きが集まって農村歌舞伎を演じていました。有志の者が誰でも入れる「講」をつくって公演したため「万人講」と呼ばれるようになったといいます。村のお祭りの時、余興として神社の境内の舞台で興行したり、近隣の村を小屋掛け興行したりして回っていました。
大正時代には「喜楽座」という回り舞台付きの劇場ができ、興行はますます盛んになりましたが、戦時中の昭和18年(1943年)に休業。終戦直後に劇場は再開し、「万人講」も昭和27年(1952年)まで継続したものの、その後は途絶えてしまいました。

そんな「万人講」が再び脚光を浴びたのは平成元年(1989年)。この年、定員600名の大ホールをもつ雄踏文化センターが完成したのを機に、以前の経験者2名を中心とする雄踏歌舞伎保存会「万人講」が発足しました。翌2年、同センターで「万人講」の復活第1回公演が盛大に行われ、それ以降、今日まで定期的に公演が行われるようになっています。

「万人講」について、保存会の坂田忠臣会長は次のように語ります。
「最近はコロナ禍で公演を中止することもありましたが、2024年1月21日には約2年ぶりとなる第33回定期公演を開催しました。演目は『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』『絵本太閤記十段目 尼ケ崎閑居の場(子ども歌舞伎)』『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』で、いずれも地元の中学生や女性たちが一生懸命、演じてくれました」
かつて「万人講」の出演者は成人男性が中心でしたが、最近は地元の「伝統文化こども教室」で学ぶ小中高生が舞台を支えます。これに坂田会長らのベテラン勢がからみ、世代を超えて華麗な演技が繰り広げられるわけです。
「定期公演では毎回、男女の小学生、中学生が多数参加。みんな熱心に稽古に取り組み、難しい舞やセリフ回しを習得してくれます。とくに熱心なのは女の子ですね。子どもの頃から歌舞伎に親しみ、『芝居を続けたいから地元の大学に進学する』という子もいました。また、中高生の時に芝居を経験した子が結婚してお母さんになり、その子どもが舞台に出ることもあります。こうして女性たちが地元の伝統文化の担い手になっていることは、大変頼もしいことだと思いますね」(坂田会長)。
ところで、かつて「万人講」では結城秀康と中村家を題材にした創作歌舞伎「梅薫宇布見之曙(うめかおるうぶみのあけぼの)」を上演したことがあります。中村家で育てられた秀康(於義丸)が家康公と初対面し、育ての親である中村家当主夫妻と涙ながらに別れるというエピソードを描いたものです。まさに雄踏ならではの貴重なオリジナルストーリーといえるでしょう。
「ただ、この作品は大掛かりな場面転換が必要で、素人の私たちではスムーズに行えないことから、最近は上演していません。それでも、地域で親しみのあるテーマの舞台だけに、いつか復活できればいいなと思っています」と、坂田会長は語っています。
昔から地元の人々に愛され、今では他県からも熱心なファンが公演に訪れるという雄踏歌舞伎「万人講」。浜松市伝統文化支援事業にも選ばれており、今後も市民たちの手で大切に継承されていくことでしょう。

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