「えんちゃんクーポン」で遠州・浜名湖をおトクに楽しむ!


おすすめ探訪スポット!
西気賀
にしきが

子どもたちの未来を創るまち
浜名湖北東部に位置する気候温暖な湖畔のまち、西気賀。
地元で「細江湖」と呼ばれる湖面に突き出た五味半島は、
皇室とのゆかりが深く、「プリンス岬」の愛称で親しまれています。
半島の根元にある西気賀小学校で行われているのは、
湖を活かした独自の教育。
子育て世代のファミリー層に理想的な環境といえそうです。

県内で類を見ない和船教育

「そーれ、そーれ」という元気な掛け声とともに、一生懸命に櫂を動かす子どもたち。西気賀小で毎年夏に行われる和船体験の一コマです。子どもたちを乗せた和船は、湖面に接した専用の桟橋(潮見桟橋)から出航。子どもたちの船にはサポート役の地域ボランティアの男性が同乗し、櫂や櫓の扱い方などを指導します。また、和船のすぐ近くからは先生や別の地域ボランティアが乗る救助艇が見守り、静岡県立三ヶ日青年の家のボートも待機して、安全対策は万全です。
「本校の和船体験は平成5年(1993年)、地域の良さを学習するためにスタート。2022年で29年目になります。この地域では古くから漁業が盛んで、漁や物資の運搬のため、和船が大いに活用されていました。また、近くの寸座港には漁師さんが何人も住んでいます。そんな漁師さんたちが地域ボランティアを買って出て、子どもたちに和船の漕ぎ方を教えてくれているんです。このような体験学習を授業の一環として行っているのは、静岡県内でも本校だけだと思いますよ」と語るのは、西気賀小学校の竹村元清校長です。
西気賀小で和船を体験するのは、4年生、5年生の児童たち。5年生が4年生をサポートしながら、ともに体力と協調性を養います。和船体験はひと夏に合計7回行われ、最終日には西気賀小から寸座、東名高速の橋脚、伊目小学校を経て西気賀小に戻るという「細江湖一周」を行います。「このほか本校では、1~3年生のダブルハルカヌー体験(三ヶ日青年の家)、4~6年生のカヌー体験も実施しています。今後も、こうした地域ならではの学習を通して、学校教育目標である『湖畔に輝ける子ら』を実現していきたいですね」と、竹村校長は話しています。

慣れない櫂を一生懸命操る子どもたち

慣れない櫂を一生懸命操る子どもたち

 

皇室ご一家との心温まる交流

さて、西気賀といえば思い起こされるのは、皇室ご一家との深いご縁。昭和42年(1967年)11月、浩宮様(現在の天皇陛下)が五味半島の平野社団保養所で「初めてのお泊り」をご経験されたことがきっかけでした。そして翌43年8月、今度は皇太子同妃両殿下(現在の上皇上皇后両陛下)と浩宮様、礼宮様(現在の秋篠宮殿下)のご一家が五味半島をご訪問になり、6日間の「夏のバカンス」をお過ごしになったのです。

地元の祇園祭に参加されたご一家(昭和52年)

地元の祇園祭に参加されたご一家(昭和52年)

その後も、ご一家は毎年のように五味半島を訪れ、昭和53年(1978年)まで合計8回にわたり(昭和42年の浩宮様の一人旅は除く)、夏の細江湖を満喫されました。その間、ご一家は地域住民の皆さんと親しく交流され、中でも和船に乗るのが大好きだった皇太子殿下と、地元の漁師さんたちが身近に接する機会がたびたびありました。今年82歳になる永田辰義さんも、そうした漁師さんの一人です。
「当時、私はまだ若手の下っ端で、ご一家の乗る船の船頭役は任せてもらえませんでした(笑)。もっぱら警備の船を担当していましたが、ご一家が角立て漁を見に行ったり、海水浴に行ったりした際には、皇太子殿下ご自身が櫓を漕いでおられました。『え、どこで覚えただ?』と思うくらいお上手でしたよ(笑)。それと、美智子妃殿下が船に乗られる際、皇太子殿下がさっと手を差し伸べてエスコートされる姿も印象的でした。『俺らじゃ、あんなことできん』と思いつつ(笑)、本当に和やかというか、模範的なご家族だなぁと思いましたね」
一方、皇太子ご一家ご訪問の裏方役として、人知れず苦労をした旧細江町職員もいます。その一人である行方(なめかた)寛隆さんは、昭和46年(1971年)、浩宮様が西気賀小学校で地元の子どもたちとソフトボールをした際、1塁塁審の大役を任されました。

西気賀小の行事で、花火に興じられるご一家(昭和53年)

西気賀小の行事で、花火に興じられるご一家(昭和53年)

「宮様は大の巨人ファンで、打席では王選手の真似をして、一本足打法で球を打ちました。あいにく打球はホームランとならず、結果は内野ゴロ。それでも宮様は懸命に1塁に走られ、内野手が1塁に送球するのとどちらが速いか、競争になりました。宮様が1塁に到達した時、『ん、これはアウトか?』と思いましたが、とっさに『セーフ!』と両腕を広げました(笑)。まぁ、その方が面白いと思いましたからね(笑)」
こうした皇太子ご一家とのふれあいエピソードは、まだまだ尽きません。元細江中学校体育教師の伊藤隆さんは、当時、中学生だった浩宮様に水泳を教え、美智子妃殿下から「伊藤コーチ」と呼ばれた経験があります。
「最初は浜名湖で泳ぐ予定でしたが、水温が低かったんで、平野社団保養所のプールで泳いでいただきました。西気賀小でソフトボールをやった同級生たちと一緒に、水中ゲームやリレーをしましたね。その様子を皇太子殿下と美智子妃殿下がテラスから見守られて。私も両殿下と緊張しながらお話しさせていただきました。子どもたちは浩宮様に『どんなテレビ見る?』と聞いて、宮様が『山口百恵の赤いシリーズかな』とお答えになったようですね(笑)」
後年、伊藤さんは地元の祇園祭で美智子妃殿下と再会。「あ!伊藤コーチ!」と呼びかけられ、「思い出話を語るため、食事会でもいかがですか?」と誘われました。「誠に光栄なことながら、畏れ多くて」と、伊藤さんは謹んで辞退したそうです。

「上皇陛下の櫓さばきに感心した」という永田辰義さん

「上皇陛下の櫓さばきに感心した」という永田辰義さん

 

岬を彩る空中の秘密の花園

それでは最後に、現在のプリンス岬の“新名所”ともいえるスポットをご紹介しましょう。それは、伊藤さんの奥様の容子さんが丹精込めたイングリッシュガーデン。ご自宅前の小高い丘の上に整備した“空中の秘密の花園”です。色とりどりのバラ150株や、ジギタリス、クレマチスなど80種類が咲き誇るこの庭を、容子さんは「マイガーデン 湖風(うみかぜ)」と名付けました。

容子さんが育てたバラ満開のイングリッシュガーデン

容子さんが育てたバラ満開のイングリッシュガーデン

「ガーデニングを始めたきっかけは、平成16年(2004年)の浜名湖花博にボランティアとして参加したこと。そこで美しく咲くバラを見て感動し、「わが家にもバラ園を」と思い立ちました。本格的に庭づくりを始めたのは平成22年(2010年)頃。主人に手伝ってもらいながらコツコツと作業を進め、5月には大輪のきれいなバラが咲くようになりました。それが新聞やユーチューブに取り上げられ、驚くほど大きな反響を呼んだんです。今年(2022年)の5月は、バラが見頃の2週間ほどの間に遠方から多くの方が見に来られました。私は、張り切りすぎて腰を痛めてしまいましたが(笑)。来年も美しいバラを咲かせられるよう願っています」
皇室ご一家との心温まる交流の歴史や温暖な気候風土に恵まれ、人々の人情も豊かな西気賀のまち。よそにはない魅力があふれた地域として、これからの発展が大いに期待できそうです。

伊藤隆さん、容子さんご夫妻

伊藤隆さん、容子さんご夫妻

 

えんちゃんプリンス岬駅は、こうして誕生した。

2022年3月、天竜浜名湖線(天浜線)西気賀駅の副駅名(愛称名)として「えんちゃんプリンス岬」が採用されました。これは、天竜浜名湖鉄道株式会社が昨年10月から開始した天浜線各駅のネーミングライツ・スポンサー募集に対応し、遠州信用金庫が西気賀駅のネーミングライツを取得。皇室ゆかりのプリンス岬と、えんしんマスコットキャラクター「えんちゃん」にちなんで「えんちゃんプリンス岬駅」と命名しました。いかにも愛らしく、親しみやすい駅名の誕生ですが、その背景には「奥浜名湖エリアの活性化に貢献したい」という、えんしんの熱い想いがありました。
えんしんは昭和46年(1971年)、気賀を拠点とする引佐信用金庫と、中野町を拠点とする浜名信用金庫との合併により発足。以来、浜松全域で営業活動を展開していますが、気賀をはじめとする奥浜名湖エリアは、えんしんにとって「心のふるさと」といえる地域なのです。それゆえ、今回の「えんちゃんプリンス岬駅」のネーミングライツ取得には、えんしんの“ふるさと愛”が大いに反映されているというわけです。

「えんちゃんプリンス岬」駅のホームに到着する天浜線の車両

「えんちゃんプリンス岬」駅のホームに到着する天浜線の車両

そんな「えんちゃんプリンス岬駅」の駅舎では、当駅オリジナルキャラである「プリンスえんちゃん」の駅看板が乗客をお出迎え。ホームにも同様の看板が設けられ、入線するカラフルなラッピング車両とのユーモラスな対比が見られます。また、駅周辺にはお得な「えんちゃんクーポン」提携店が点在し、駅とのコラボレーションも期待できます。
今回のネーミングライツを機に、これまで以上にマイクロツーリズムなどの観点から、気賀エリアの地域を盛り上げていく取組みを検討しております。こうした観光活性化策によって、今後、西気賀エリアが奥浜名湖周遊のゲートウェイとなっていくと期待できそうです。

「プリンスえんちゃん」をあしらった駅名看板

「プリンスえんちゃん」をあしらった駅名看板

 

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