おすすめ探訪スポット!
なかのまち
どっこい生きてる東海道真ん中のまち
東海道の江戸日本橋と京三条大橋のちょうど中間点に位置し、
昭和の頃まで天竜木材の集積地として栄えた中野町。
「近頃は人も減り、商店も減って寂しいもんだ」と言われますが、
天竜川の夜空を彩るド派手な花火のように、
中野町っ子の「やらまいか」の心意気は今も健在です。
そんなまちの魅力をとことん掘り下げてみましょう。
豪華絢爛、浜松一の花火
「中野町の名物は、花火とウナギと餃子ですね(笑)。毎年、8月14日の花火には数万人の人出があるし、普段の休日にはよそから来た人たちがウナギの『中川屋』で食事して、持ち帰り餃子の『かめ』でお土産を買って帰る。それが一種の“定番コース”になっているんです。他にもいろいろ人気の店がある中野町は、やっぱりいいところですよ」。そう話してくれるのは、地域おこしのためのボランティア団体「中野町を考える会」の堀内秀哲事務局長です。
堀内さんの言う「三大名物」の中で、やはり最も有名なのは花火でしょう。浜松は昔から花火が盛んな地域で、夏になると市内のあちこちで花火が上がります。しかし、100年以上の歴史を誇る中野町の花火は、まさに別格。天竜川河川敷で開かれる「中野町煙火大会」では、約4000発もの花火が打ち上げられ、見通しのよい河川敷で行われることから、対岸の磐田側からもよく見えます。新型コロナウイルス蔓延のため、2021年、2020年と中止になりましたが、2022年は3年ぶりの開催となりました。
そんな中野町の花火は、文字通り豪華絢爛そのものです。今年の大会のオープニングでは、よさこい踊り「響天動地」のパフォーマンスが披露され、午後7時半から本番の花火がスタート。そこから次々に華麗な花火が打ち上げられ、観客を「音と光」の夢幻の世界にいざないます。クライマックスは、左右に大きく広がる大スターマインと、数えきれないほどの尺玉の連続打ち上げ。辺りは昼間のような明るさと耳をつんざく大音響に包まれ、まさしく「すごい!」としか言いようのない大迫力で人々を圧倒します。
その規模と華麗さで「浜松一」と称される中野町の花火ですが、そうした背景には地元の人たちの並々ならぬ “中野町愛” と “中野町プライド” があります。
「普通、花火大会というと商工会や観光協会などの公的団体が音頭を取ると思いますが、中野町は違います。花火のための募金集め、プログラムやポスターづくり、会場の設営まで、すべて地元の有志が担当しているんです。 2022年の大会は3年ぶりとあって、前回よりも多くの募金が集まりました。もともと、中野町の花火は地元の六所神社の祭礼として始まったもの。地元による地元のためのお祭りだから、皆さん、お金を出してくれるし、労力も提供してくれます。それがたまたま規模が大きくなって、よそからも大勢の見物客が集まってくるようになったわけです」
また、花火の当日に天竜川べりの六所神社から、旧東海道沿いにずらりと立ち並ぶ露店も祭の魅力の一つ。たこ焼き、いか焼き、わたあめ、クレープ、お面におもちゃなど、おなじみの露店が狭い道にびっしりと並び、その間を人波が押し合いへし合いしながら通り過ぎる様子は、本当に活気にあふれています。このほか、沿道の民家の住人が自宅前にテーブルや椅子を並べ、飲み食いしながら寛いで花火を眺めている光景は、風情ある夏の風物詩そのものです。
歩いて発見、まちの“宝物"
さて、ここからは「中野町を考える会」が中ノ町小学校とコラボして行っている「まち探検学習ボランティア」の様子を紹介しながら、中野町の歴史と魅力を深掘りしてみましょう。この活動は地域の歴史を子どもたちに伝承するため、中ノ町小の地域学習を支援する形で実施しているものです。2022年10月に行われたまち探検には、同小3年生の児童46人が参加。子どもたちは四つの班に分かれ、考える会のボランティア4名にそれぞれ先導されながら、探検マップを手に元気よくまちへ出かけていきました。一つの班の後をこっそり付いて行ってみましょう。
子どもたちがまず発見したのは「軽便鉄道軌道跡」の標識。昭和初期まで、中野町には「ラッキョ軽便」というミニSLが通っていて、東海道の松並木、民家の間をのんびり走っていたそうです(詳しくは後述のコラム参照)。「SLって何?」という子どもたちの質問に、ボランティアは「蒸気の力で走る機関車のことだよ」と説明していました。
そこから旧東海道沿いを東へ進むと、中野町繁華街の入り口だった東橋に到着。昔、この辺りは旅館や料理屋が軒を連ね、洋食屋やビリヤード、カフェーもあって、大いに賑わっていたそうです。子どもたちは「今は何もないねぇ」「でも、すぐ近くに中川屋さんがあるよ!おいしいよ!」と楽しくおしゃべりします。
続いて訪れたのは立派な石造りの蔵。これは明治時代に廻船問屋の蔵として建てられたもので、遠く伊豆半島から船で運んだ「伊豆石」という白い縞模様の石が使われているのが特徴です。現在、この建物は「まっし蔵」という文化施設に生まれ変わり、コンサート会場やギャラリーとして活用されています。蔵の中には「中野町今昔物語」という写真展示コーナーがあり、子どもたちは熱心に昔のまちの風景に見入っていました。
この後、子どもたちはまちの東端の六所神社や天竜川の木橋跡などを見学し、北へターン。軽便鉄道終点跡や昭和初期の芝居小屋「天竜座」跡などを見ながら歩いていると、背の高い倉庫を発見しました。「何だろう?」と子どもたちが見つめているところへ、一人のおじさんが登場。「これは中野町の屋台小屋だよ」と言って、特別に中を見せてくれました。そこにあったのは豪華絢爛な御殿屋台。「うわー、でっけえ!」「すごくきれい!」と、子どもたちは大喜びです。
最後は、中野町を発祥の地とする遠州信用金庫中野町支店を見学。ここはかつて、旧中ノ町村役場があった場所です。まちをぐるりと一周し、子どもたちは学校へと帰還しました。この探検で“まちの宝”をたくさん発見した子どもたち。大きくなって県外の人に「あなたの出身地は?」と聞かれた時に、「(浜松ではなく)中野町(中ノ町)です!」と笑顔で答えることでしょう。
四季折々の花が咲く花壇
このような子どもたちのまち探検以外にも、「考える会」では様々なまちおこしプロジェクトを展開しています。その一つは、国道1号沿いの公共空き地を利用した花壇と広場の整備。行政との協働により、橋詰広場「寄ってきっせぇ中野町」、花壇「中ノ町フラワーロード」、桜広場「なかのまち夢いっぱい広場」を整備しました。花壇には中ノ町小学校の児童と一緒に種をまき、春は菜の花、夏はヒマワリ、秋はコスモスといった四季折々の美しい花々が咲き乱れます。
また、町内の庭先に実っているユズ、キンカン、レモンなどをみんなでシェアして楽しむ「コミュニティ市場 なかのま市(いち)」というユニークな取組みもあります。この市は、遠州信用金庫中野町支店の店先を借りて行われ、提供者と消費者、それを結ぶまちづくり団体がみんな得する、非常に珍しいケースだといえるでしょう。
このほか、江戸時代に天竜川舟渡の茶屋で売られていた「はりつけ餅」という名物を古文書から“発掘”し、まちの女性たちの協力を得て復刻しました。この餅を販売するため天竜杉を使った屋台を新調し、協働センター祭りや小中学校のバザーなどに出店して地域PRに役立てています。「はりつけ餅」は、あんこの入った餅を串に差し、表面に醤油を塗ってこんがり焼いたもの。甘じょっぱい味を想像しただけで、よだれが出てきそうですね。
こうした意欲的な活動は、中野町の新しい未来を築いていくための大切な足掛かりになることでしょう。
中野町をラッキョ軽便が走っていた頃
「やいやい、まーた坂で汽車が動けんくなったぜ」「しょんないで、降りてみんなで押さまい」「(乗客全員で)やいしょ!やいしょ!」。明治42年(1909年)から昭和3年(1928年)までの19年間、浜松(板屋町)~中野町間を結んだ中野町軽便鉄道では、こんな光景がしばしば見られたといいます。
中野町軽便は、ラッキョ型の細長い煙突があったことから「ラッキョ軽便」の愛称で呼ばれました。レール幅は76センチというトロッコ並みの狭さ。機関部に火夫(ボイラーマン)一人が身をかがめて乗るという小さな蒸気機関車で、通常は定員20名ほどの客車1両を引っ張って走っていました。
ところが、当時の一大イベントだった鴨江観音のお彼岸祭の時などは参拝客で非常に混み合ったため、客車を3,4両に増設。平地ならこれでもいいのですが、何せ非力なミニSLのこと、急坂に差し掛かるとどうにもこうにも行きません。そこで冒頭のように、乗客が降りて列車を押すという珍場面が繰り広げられたというわけです。
さて、「ラッキョ軽便」の総延長は約17.7キロで、駅は全部で11駅。汽車は板屋町を出発すると、南新町、馬込、木戸、天神町東、植松、永田、橋羽、薬師、安間、中野町に停車しました。走行速度は時速13キロ程度という、人間が走るより少し速い程度でのんびり走ったそうです。途中、天神町、橋羽、中野町など家並みが続く場所では家々の軒先すれすれを通りましたが、煙突から出る火の粉が藁ぶき屋根に飛び、ボヤ騒ぎを起こすこともたびたびありました。
そんな「ラッキョ軽便」は中野町の人々の貴重な足として活用されたものの、問題は運賃でした。同じ路線を走っていた乗り合い馬車の方が安く、こちらに客を奪われて軽便の営業成績は悪くなる一方。やむなく昭和3年に軽便は廃止となり、同じレール上を軌道自動車(ガソリンカー)という汽車と自動車の中間のような車両が走るようになります。しかし、この軌道自動車もより高速の乗り合いバスとの競争に敗れ、昭和12年(1937年)、中野町線は廃線となりました。その後、レールは東海道の路上から消え、今は終点跡などを残すのみですが、「ラッキョ軽便」というユーモラスな名前は地元の人々の記憶にしっかりと刻み込まれています。
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