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おすすめ探訪スポット!
湖西市
こさいし

歴史と文化に彩られた多様性のまち
浜名湖の西側、静岡県最西端に位置する湖西市。
独自の歴史と文化がモザイクのように散りばめられた、
多様性ある地域です。
また、近年は先進的なものづくり産業が集積し、
まちに新たな活気を生み出しています。
東の浜松市、西の豊橋市に挟まれながら、そのどちらとも一味違う
湖西市の魅力をじっくり探ってみましょう。

個性が異なる七つの地区

冒頭でまず、湖西市というエリアの成り立ちを見てみることにしましょう。この地に「湖西」という地名が誕生したのは、今から68年前。昭和30年(1955年)、浜名郡鷲津町、白須賀町、新所村、入出村、知波田村の5町村が合併し、浜名郡湖西町となりました。昭和47年(1972年)には市制が施行され、湖西市が発足。平成22年(2010年)、新居町を編入合併し、現在の湖西市という行政単位が確立しました。

こうした歴史的経緯からもわかるように、このエリアには地区ごとにそれぞれ異なる個性があります。まず市の中心地域である鷲津地区は、市役所、消防署、警察署などの公の施設が集まり、ロードサイドには多くの住宅や商業施設が立地。また、豊橋市との境目に位置する新所原地区には、天竜浜名湖鉄道の出発駅である新所原駅があり、東西交通の要となっています。鷲津と同様、数多くの住宅や商業施設が集まるエリアでもあります。

一方、白須賀地区は江戸時代に宿場町として栄え、遠州灘に面した温暖な気候と潮見坂からの素晴らしい景観が魅力。スズキ湖西工場があることでも知られます。さらに、新所、入出、知波田の3地区には豊かな田園地帯と美しい湖岸の風景が広がり、釣りやマリンスポーツ、湖西連峰のハイキングなど観光・レジャーの盛んな地域です。

そして近年になって合併した新居地区は、東海道新居宿や新居関所で昔から有名なまち。関所周辺には数多くの住宅や商店が軒を連ね、昔ながらの町並みが街道沿いに残っています。また、新居弁天公園での海水浴や潮干狩り、伝統の手筒花火、ボートレース浜名湖など、観光・レジャー資源は実に豊富。古くからの人情が色濃く残る地域性とも相まって、年間を通して多くの観光客がこの地域を訪れています。

かつての船着き場(手前)を再現した新居関所

かつての船着き場(手前)を再現した新居関所

 

長い歴史を誇る新居関所

さて、ここからは新居地区に点在する魅力スポットや行事について、個別にみていくことにしましょう。最初にご紹介するのは、遠州の歴史遺産として名高い新居関所です。新居関所は、慶長5年(1600年)、徳川家康が関ケ原の戦い直後に設置したもの。そもそも家康は、なぜこの地に関所を設けたのでしょうか。

新居地区は、東海道のほぼ中間に位置するとともに、当時は三方を海に囲まれた土地でした。このため、京都・大坂から江戸へ向かう旅人は「今切れの渡し」(渡船場)から舟に乗り、浜名湖の東岸に渡る必要がありました。つまり、新居関所は陸路と海路の中継点であり、人や物資の移動を監視しやすい戦略的な要地だったわけです。

新居関所と聞いて、思い浮かぶのは「入り鉄砲に出女」の厳しい改め。「入り鉄砲」とは江戸に入る鉄砲のことで、幕府は倒幕運動に鉄砲が使われることをおそれ、これを厳重に規制しました。また「出女」の改めは、江戸に人質として滞在していた全国の大名の妻や子女が国元に帰ってしまうのを防ぐのが目的。同時に、関所を通る上り下りの女性をすべて調べ、通行手形を持たない女性の出入りを禁止しました。

今から約400年前に設けられた関所は、地震、津波、風水害によって二度移転、建て替えを行いましたが、嘉永7年(1854年)に建てられた面番所や書院などは現存しています。また関所の東側には、かつて三方を海に囲まれていた頃の船着き場を再現。陸海の交通の要衝として、重要な役割を担っていた時代を彷彿とさせています。

関所を中心とする旧新居宿は、遠州信用金庫など県内9金庫が参加する「東海道御宿場印プロジェクト」の対象エリア。これにより、今後のさらなる観光活性化が期待できそうです。

旅人の出入りを厳しく改めた面番所の再現風景

旅人の出入りを厳しく改めた面番所の再現風景

 

躍動的ムードの手筒花火

一方、新居のもう一つの名物といえば、何と言っても手筒花火が有名です。新居手筒花火は、地元の諏訪神社奉納煙火祭礼として、毎年7月第4週の金・土曜日に行われるもの。赤い装束の氏子たちが炎を吹き出す手筒を抱え、「ソラダセダセヨォ」の掛け声とともに、踊りながら練り歩く姿はまさに勇壮、かつ自由な雰囲気にあふれています。花火の周りは「やんややんや」の喝采を送る人々であふれ、笛や太鼓のお囃子、法螺貝の音が鳴り響きます。

躍動的なムードの新居手筒花火

躍動的なムードの新居手筒花火

このような楽しく、激しい手筒花火は新居独特のものですが、こちらの花火のさらなる特色は、いわゆる「ハネ」がないことです。豊橋などの三河手筒花火は、火薬が燃え尽きた直後に筒の底から爆発的な火花(ハネ)が噴き出すのが売り物。このハネの衝撃に耐えるため、花火を揚げる人は足を開き、腰を落とした“不動の姿勢”を崩すことができません。これに対し新居手筒花火は、ハネがないため揚げる人の姿勢は自由自在。笑いながら、踊るように花火を揚げるという、新居ならではの大らかなムードの祭が繰り広げられるというわけです。

 

ものづくり産業のふるさと

さぁ、続いては鷲津地区に目を向け、同地区に立地する豊田佐吉記念館を訪ねてみましょう。トヨタグループ創業者である佐吉翁は鷲津(湖西市山口)の生まれ。少年時代、母が機を織る姿を見て「発明で社会の役に立とう」と志し、独学で「豊田式木製人力織機」など画期的な発明品の数々を世に送り出しました。この佐吉翁の生誕120周年を記念し、昭和63年(1988年)、翁の生誕地にオープンしたのが豊田佐吉記念館です。

記念館敷地内にある佐吉翁の生家

記念館敷地内にある佐吉翁の生家

記念館の展示室には、「豊田式木製人力織機」のほか、発明当時は世界一の高性能と称賛された「G型自動織機」などを展示。また、発明一筋に生き、「世界のトヨタ」の礎を築いた佐吉翁の歩みを展示パネルやビデオ映像で紹介しています。さらに、記念館の敷地内には藁ぶき屋根の佐吉翁生家が復元され、当時の生活をうかがい知ることができます。この場所は、いわば日本のものづくり産業のふるさと。館内には日本語のほか、英語や中国語の解説文が掲げられ、国内外から訪れる大勢の来場者に対応しています。

 

佐吉翁の胸像

佐吉翁の胸像

 

市民総踊りで盛り上がる

このように多彩な魅力にあふれる湖西市では、地域が一体となって盛り上がるイベントが年に一度あります。それは、湖西市最大級の夏祭といわれる「湖西おいでん祭」です。この祭は、平成4年(1992年)、湖西市制20周年の記念事業の一環として、「湖西祭り」の名称でスタート。翌平成5年(1993年)から「湖西おいでん祭」となり、市民総踊りや花火大会を繰り広げる盛大なイベントとして定着しました。平成14年(2002年)には、市民総踊りソング「湖西おいでん」が誕生。この曲は、「白いブランコ」や「さよならをするために」で有名な兄弟デュオ、ビリーバンバンの作曲によるもので、これにより祭は一層賑やかなムードとなりました

市内の企業などが参加する「湖西おいでん祭」の市民総踊り

市内の企業などが参加する「湖西おいでん祭」の市民総踊り

令和2、3年(2020、2021年)は新型コロナウイルスの影響で中止となりましたが、令和4年(2022年)8月には3年ぶりに「湖西おいでん祭」を開催(会場・ボートレース浜名湖)。当日は、市内の企業、自治会から9チーム177人が市民総踊りに参加し、ステージ前で大きな踊りの輪を広げました。また、祭の締めくくりには新居手筒花火150本が披露され、見物客を魅了しました。

湖西市は昭和47年(1972年)の発足から、今年で51年目となります。それぞれの地区の特色を色濃く残しながら、県西部の活力ある都市として着実に発展しています。今後も、観光・レジャー、ものづくり産業、温暖な気候と浜名湖の幸を活かした農漁業などにより、さらに魅力ある地域として成長していくでしょう。

市制50周年を記念した令和4年の「おいでん祭」会場

市制50周年を記念した令和4年の「おいでん祭」会場

 

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